資格に依存=労働に依存ということ。資格は正義じゃない。

こんにちは。せーやです。

 

 

今回は、

資格を取得しても、結局労働に依存しているのと同じだよ

というテーマで話していきたいと思います。

 

 

 

資格と言ってもいろいろあるし、

 

全てを知り尽くしているわけじゃありませんが、

 

正直僕は

資格なんて取る必要がないと思っているんです。

 

 

それはなぜか。

 

 

 

就職時に有利と言う利点は、利点とは思えない。

 

一つは、

就職時ぐらいにしかその効果を発揮しないから。

 

 

どういうことかと言うと、

 

就きたい職業があったとして、

 

その企業が最低これは持っててくださいねーって言う資格を

一生懸命勉強します。

 

で、無事資格を合格してゲットしたら、

履歴書にその資格が載りますよね。

 

ここでやっと試験が受けられる権利を手にするわけですが、

 

 

この利点は利点ではないように思えるんです。

 

資格を持っていたからと言って、

その会社に絶対入れるわけでもないですよね。

 

 

もし入れなかったとしたら、

せっかく頑張って勉強した資格がパーになってしまいます。

 

 

たった一期間のためだけに頑張って勉強したのに

それが報われなかったらそれこそもったいないです。

 

 

つまり資格は、

就職試験を受ける権利が得られるとか、

面接などでちょっとだけ有利になるって言うぐらいなんですね。

 

 

また、受かったとしても

会社に行って仕事を覚えるってなった時、

 

結局その職場の業務自体は資格の勉強は役に立たず、

1から仕事を覚えなきゃいけないってこともあり得ます。

 

 

例えば、僕は高校時代

その学校は工業高校だったんですが、

 

学校の先生に

「今のうちに資格はできるだけ取っておいたほうがいいぞ、就職で役に立つから」

 

と言われ、

「まあそうだよな」

 

と、当時はなんの疑いもなく

工業系の資格を五つくらい取得したんです。

 

で、就職時に履歴書の資格の欄が埋まるほど資格を書いた僕は

 

満足げに

「こんだけ資格あったら仕事でも即戦力だな」

 

みたいな感じで謎の自信に満ち溢れていたんです。

 

 

無事に今の会社に受かり、いざ仕事が始まると

 

その職場独自の作業や仕事があるから

即戦力なんてことはなく、1から仕事を覚えなければなりません。

 

当然、せっかく取った資格は泥水に流す形になってしまいました。

 

「なんだよ、資格意味ねーじゃん。勉強した時間返してくれ。」

 

ここでやっと資格の無意味さに気づかされました。

 

 

正直、今現在何年も前に取った資格の内容なんて

全く覚えてない時点で意味がないと思うし、

 

工場勤務が大嫌いになった僕からしたら、

もう工場系でしか使えない資格は

使う場面は一生ないと思っています。

 

 

たとえ

その仕事が自分の夢で、

資格を勉強して取得してその業界に入ったとしても、

 

その業界の現実を知り、

辞めてしまえば全く意味がないんです。

 

 

例えば、

僕の妹の話なんですけど、美容師になりたくて高校を出た後

 

2年間高い学費を払って専門学校に通い、

美容師国家資格を取得したんです。

 

ちなみにこの試験を受けるだけで最大2万5千円かかります。

 

そして、専門を卒業し

上京して夢を叶えたわけですが、

 

美容室でアシスタントとして頑張っていたんですが、

上司とうまく行かなかったり、サービス残業は当たり前だったり

 

美容師の現実を知ってしまい、

遂にはその美容室を辞めてしまいました。

 

今は普通に会社員をしてるそうですが、

 

いくら国家資格で、またいつでも美容師に戻れたとしても

またサービス残業などがあるとわかっているので、

もう美容師に戻ることはないと言っていました。

 

 

と言うことは

せっかく高いお金を払って取った資格が

パーになったと言うことです。

 

 

この事例を見ても分かるように、

今まで何年もかけて勉強を頑張り、夢を叶えたにもかかわらず、

 

結局はパワハラ上司やサービス残業と言った弊害に邪魔され

夢を諦めざるを得ない状況になってしまうこともあるんです。

 

 

また、パワハラや残業と言うものは

どんな業界、会社にもつきもので、

会社で働いている以上、避けて通ることはなかなか難しくなっています。

 

資格を取ったからと言って

それらを無効化できるなら話は別ですけど、

それはどう考えても不可能です。

 

 

昇給が見込めたとしても、それは雀の涙でしかない。

 

 

もう一つ、

資格を持っていれば昇給の対象になると言う利点もありますよね。

 

 

しかし、それは雀の涙ほどでしかないと言う現実があります。

 

 

5万、10万上がるならその価値はありますが、

まず、そんなに上がるとは思えません。

 

 

資格手当てにしてもそうで、

 

資格を持っているからと言って

年収が100万アップするわけではないんですよね。

 

もし、上がるなら資格を取る価値はあると思いますけど、

 

おそらくそれは無理な話だと思います。

 

 

超難関の資格なら最大5万くらい手当てが出ると言いますが

 

めちゃくちゃ勉強して何回も受けてやっと5万くらいなんです。

これでも年間50万ほどと言うことになります。

 

さらに、全ての企業がこれらを導入してるわけではなく、

していない企業もあるそうです。

 

つまり、100%手当てや昇給が見込めるかと言ったら

そうではないんですね。

 

こう言った現実がある上で、

資格をたくさん取るために多くの時間を失うと言うのは

正直賢明ではないと僕は思います。

 

 

資格のおかげで希望の職業に就けたとしても、、、

 

 

さっきの話でも言ったんですけど、

 

無事に資格を取得して希望の会社に入ったとして、

昇給、資格手当てがあることや、高給だったとしても、

 

 

労働することには変わりないんです。

 

 

資格がある、ないに関わらず

労働自体は無くならないんです。墓場までついてきます。

 

かなり根本的な話になってしまうんですけど、

 

労働して、会社に縛られる生活がどの道待ってるとしたら、

 

資格とか意味なくない?

って僕自信思ってしまうんです。

 

 

取ってしまえば、一生働かなくても

お金がもらえるような資格があれば話は別です。

 

そんな資格はあるかわからないけど、多分ないんじゃないですかね。

 

 

そんなこと言い出すとキリがないんですが、

 

だからこそ資格に依存して勉強時間を多く取る必要は

ないと僕は思います。

 

 

結局労働するために資格を取っていると考えたら、

本当に意味がないと思うんです。

 

つまり、資格というのは

 

 

労働地獄への片道切符

 

 

という風に捉えています。

 

資格に依存してたらの話ですけどね。

 

 

なんなら資格なんて一つも必要ないと思っています。

 

免許とか生活に必要な資格や、趣味での範囲で取る資格は別ですけどね。

 

 

どんな資格を持っていようが、その目的は変わらない。

 

 

で、ここからはかなり本質的な話になってくるんですけど、

 

 

どんなにいい資格、

例えば国家資格を持っていたとしても、

 

その目的って、

「お金を稼ぐこと」ですよね。

 

保育士にしろ、建築士にしろ、税理士にしろ

どれを目指そうがお金を稼ぐことが目的っていうのには変わりないんです。

 

ちょっと言い方悪いかもしれないですけど、

 

たとえそれが小さい頃からの夢だったとしても

 

給料はもらえませんってなったらみんななりたくないと思います。

 

いくら楽しくて、好きな仕事でも

ボランティアみたいな体制だったら生活ができないですよね。

 

まあ中には高給な仕事に就いてお金持ちになるために

資格を勉強して取る人もいると思います。

 

 

なんにしても、

生きていくためにはお金を稼いでいくことは必須なんです。

 

ただ、職業によってその生活水準が変わるだけであって

その生活水準を高めたいから、資格を取っていると思います。

 

例えば、

プロ野球選手が年俸をもらえないとしたら、

誰もプロ野球を目指さないようになると思います。

なぜならその年俸に夢があるからなんですね。

 

僕もプロ野球選手を子供の頃から夢見てました。

もちろんそれは、プロの舞台で輝くこともそうですが

何より年俸、つまり給料の額に夢があるからなんです。

 

これは、資格云々の話ではないですが、

本質的にみると、全て稼ぐためにみんな働いているんです。

 

 

で、その生活水準を少しでも上げるために

資格を取る、っていう人が多いわけなんです。

 

 

必ずしもお金が全て。とは言い切れませんが、

宝くじが無くならないのもそういうことですよね。

 

人生を充実させるためには多少のお金は必要だと僕は思っています。

 

 

資格に依存して勉強する時間をビジネスに充てれば、労働自体しなくて済むようになる。

 

 

少し話が飛躍してしまいましたが、

 

この本質的な目的を踏まえて考えると、

資格の必要性というのがあまりないように思えます。

 

要は、生活ができればOKなわけじゃないですか。

 

そのための手段としては、犯罪などは抜きで

何でもいいということです。

 

 

プラスで労働というものがなければ

尚更いいですよね。

 

 

なら、その資格を取るために勉強している時間を

ビジネスの勉強に充てるとそれを達成できると僕は思います。

 

 

僕は現在、月収100万を自動で稼ぐ起業家から

情報発信ビジネスを教えてもらっています。

 

 

毎週休日はその起業家と一緒に作業をしています。

 

 

つまり、休みの日に遊ぶ時間を

ビジネスの勉強に充てているということです。

 

元々資格の勉強をしてたわけじゃないですけど、

何かの時間をビジネスに充てていることに変わりはありません。

 

別に本を読むとか、

僕の記事を読むとかでも構わないです。

 

僕も、空いてる時間で

心理学の本を読んで、

人間の心理的行動について学んだり、

 

通勤退勤中に

音声学習を聴きながら勉強したりしています。

 

周りが一生懸命資格を勉強してる時間に

こう言ったことをしていくだけで、

かなり差をつけることができます。

 

資格ってある意味一過性のものだと僕自身思っていて、

 

その時だけ、気合入れて勉強したとして、合格したとしても

何年かたったらその内容なんて忘れてしまうと思うんですね。

多分抜き打ちテストしたら不合格になってしまうと思うんです。

 

そのくらい、資格自体一瞬の知識でしかないと思います。

 

でも、その時間を利用して

ビジネスを勉強し、脱サラできたとしても

その先ずっと取り組み続けるものだから

自分自身のスキルとして確立されるわけなんです。

 

 

そう考えたら

一見資格はスキルかもしれないけど

実はこの先も書類上でしか発揮できないものなんです。

 

 

で、その情報発信ビジネスを始めて

ネット上に仕組みを作ってしまえば、

 

労働も必要とせずに

収入が得られるんです。

 

実際に僕の師匠は、

仕組み化を完成させ、月に100万の不労所得を得ている状況です。

 

しかも、会社員でもないから

朝早く起きることもないし、

上司もいないから、人間関係もスルーできている。

 

さらにいうと、このビジネスを始めるにあたって

資格は全く不要なんです。

 

この事実を知ってしまった僕は

 

「資格なんてなくても、お金を稼げるし労働もパスできるじゃん」

 

と、資格の必要性は全くない、という価値観に変わったんです。

 

 

どんなに難関の国家資格でも

このビジネスの前では無効化されてしまいます。

 

だからこそ、

資格に依存している人は

いますぐその勉強を辞めて、

ビジネスを始めるべきだと僕は思うんです。

 

僕も、今年の12月にはこのビジネスで

稼げるようなり、会社をやめると決めています。

 

だから、今は休日返上で勉強に必死で取り組んでいます。

 

資格に依存=労働に依存

 

 

この価値観を持つことが成功への第一歩だと思うので、

労働へまっしぐらになる前に回れ右して欲しいなと思います。

 

 

それでは、この辺で。